念願の日経新聞掲載

去る8月21日付けの日本経済新聞にて遂に念願の掲載が叶いました。

栃木面特集記事『沸き起こるジャズ祭』にて
とあるジャズバーの風景、この日たまたま客として訪れていた僕の姿が写真にくっきり。


まさかこんな形で日経に載るなんて。
割高料金にめげず講読してる甲斐がありました。



尚今回地方面ということもあるので、引き続き文化人としてのゴールである『私の履歴書』連載を目指して頑張ります。

息子誕生。

yooosuke2010-04-10

4月6日は昼間に夫婦で参道の草むしりをした以外はいつも通りの火曜日。静かに、待つ。

1時前に就寝したが寝付くと間もなく妻が破水。時刻は1:15、すぐさま病院に連絡を入れて身支度。車を飛ばして病院に1:30頃到着。妻はすぐに検査、その間ロビーで静かに待つ。しばらくしてナースに呼ばれて病室に入ると既に妻は着替えてベッドの上。このまま入院となるので握手を交わして自分も一旦帰宅。突然の呼出しに備えて身支度を整えてから再び床へ。

4月7日
朝方妻より着信。陣痛の為声が辛そう。発熱があるので陣痛促進剤投与開始を早めるとのこと。この時点で7日中の出産をほぼ確信。お寺でいつも通り朝のお勤めをしつつ妻の祖母が用意してくれた短い蝋燭に火を灯す。出産が早く済みますように、との思いが込められたちっちゃい炎。
午前中じっと呼び出しを待つが発熱の心配もあり落ち着かない。ベーグルを頬張りながらやっとこさやり過ごす。

12:27 昼食を終えてTVを観ていると妻から着信。『もうそろそろ来てください』。すぐさま家を飛び出るが道が混んで中々着かない。車中 BGMはたまたま大好きなモーツァルトピアノ協奏曲20番第2楽章。じ〜んとする。

病院に着いてLDR(陣痛分娩室)へ通される。いきなりの現場に面喰いつつお産の邪魔にならない定位置へ。部屋中に響く赤ちゃんの心音。苦痛の表情を浮かべる妻。
助産師のおばさん(師長)は見るからにベテラン。かなりクセのあるキャラだが、何よりこの人ならきっと任せて安心だろうと直感し、自分は静かに場を見守ることに、努めた。
 当初は14:00辺りの出産を目論んでいたようだが意外と時間がかかる。途中数人いたスタッフは他の妊婦を診に(この日は3人同時出産)行き、こちらは師長一人がつきっきり。彼女はしきりに人差指で今之くらい赤ちゃんの頭が…と説明してくれる。徐々に赤ちゃんが出口に近付いていることは、妻のお腹の形の変化からも判断できた。

常に部屋に鳴り響く赤ちゃんの心音、心拍数の数値と助産師の行動を見比べるうちに自分でもお産の状況が少しだけわかるようになってきた。呼吸法が良いと心拍数は安定、赤ちゃんへの負担も少ない。視覚・聴覚・触覚を駆使してお産のコントロールを試みる助産師の姿に感心するとともに、こんな機材無かった昔のお産にも思いが及ぶ。

スタッフが増えいよいよ終盤。赤ちゃんの頭を自分の位置からも確認。『次で最後にしましょう!』という声と共に『お父さんはビデオの用意ね!』と云われ慌ててビデオを手に取る。頑張って!もっと!もっと!という叫びにも似た掛け声の後、助産師が胎児を心配になるくらい力いっぱい引っ張って遂に我が子の誕生!やった!!直後LDR内に赤ちゃんの泣き声が響き渡り皆安堵の表情。すぐさま妻のお腹に置かれた赤ちゃんを見て思わず自分も涙ぐむ。14:40。


素晴らしい瞬間に立ち会う事が出来た。
母と子の関係を目の当たりにした。
子供は3285gの男の子。母子ともにとても元気。


明日はもう母子の退院。
遂に始まる新メンバーとの共同生活。
大変だろうけど、とても楽しみだ。

用心棒古寺巡礼

恵心院

2/1-3で卒業旅行を兼ねて奈良京都を用心棒ギターとドラムが古寺巡礼。

2/1
11:00のぞみ227で京都へ。出町ふたばの豆大福を買って近鉄で西ノ京へ向かうも大福に夢中になり三駅乗り過ごして予定より40分遅れで唐招提寺薬師寺拝観開始。唐招提寺は圧巻だったが雪交じりの雨で完全に体が冷え切った。京都に戻って宿チェックイン。熱い風呂に浸かってから四条のお好み焼き屋へ。チェーン店とは思えない旨さ。

2/2
7時前に宿を出て室生寺へ向かう。近づくにつれ雪景色。大野寺で弥勒磨崖仏とお地蔵さんを拝んでから室生寺へ移動。感動とともに写真をビシバシ撮る。続いて龍穴神社へ向うが龍穴自体は遠すぎて断念。そのまま橿原神宮前まで電車移動してチャリをレンタル、飛鳥寺〜石舞台〜板葺宮〜亀石等を廻って飛鳥駅から今度は当麻寺へ。17時ぎりぎりまで粘って京都へ戻り壬生寺で節分狂言を観覧。疲れ切った体に四条の居酒屋の湯豆腐が染みた。隣席の地元サラリーマンが『京都で飲んだら何処に坊さんおるかわからんでぇ』みたいな話をしていたが実際隣に居るのだ。

2/3
8時宿チェックアウト、レンタカーを借りて出町柳出町ふたばでまた大福を購入しつつ一路比叡山へ。東塔〜西塔〜横川を参拝。雪が残っているので諸堂はとてもいい雰囲気。横川では今回の旅行の個人的な目的だった恵心院と源信さんの御墓のお参り、最後に中堂の聖観音を拝んでから東塔に戻ってそば屋で遅い昼飯、のはずがお店が終わっており愕然。しかしそんな我々に気付いて店のおばちゃんが大盛り天ぷらそばを作ってくれた。『一隅を照らす運動』を実践するそば屋。
 その後は宇治に向かう予定だったが時間の都合で清水寺へ変更。ここ三日間行く先々観光客が少なくてさすがの古都もこの時期は閑散だなぁと思っていたがここには中国人、カップル、学生、たくさん居て色んな意味で安心。レンタカーを返して京都駅でお土産&弁当購入、19:22発のぞみ392で帰京。

ちょっと詰め過ぎた感もあったが三日間ほぼ予定通りに作戦遂行。個人的には何より源信さんにお参りが出来て感無量だがあんな山奥まで付き合ってくれたヒライ氏には感謝。

これからも用心棒は全国各地に出没の予定です。

2009→【2010】→2011→…

2010年も三日。三年連続喪中正月となりましたがみなさん今年もよろしくお願いします。


簡単に2009年を振り返れば、総じて大学院とお寺を行ったり来たりした一年。

春先から始めた施餓鬼塔婆の準備は今年前半の大仕事だったが、何分筆が不慣れなもので、仕事に行った先のお墓にささっている塔婆の上をヨロめいている字々といったらヘタクソなりのグル―ヴと言うにも程遠くいつ見てもゲンナリする。

5月にはほんのちょっとだけ演奏を。ここ数年楽器からは距離を置いているから明らかにスキルが落ちているが、モチベーションが新鮮でよいし少ない時間を活かしてテクニック的なチャレンジに取り組むなどそれなり有意義に。


今年は自分の産みの母の33回忌法要を執り行った。
家族親族大勢が集まる中、岡山などから母方の叔父叔母達が駆け付けてくれた事は本当にありがたく、会自体とても和やかな思い出深いものとなった。最後に駅まで送り届けた母の弟にあたる叔父は、雨の中体一杯に手を振ってくれた。


御施餓鬼、お盆をはさんで秋以降の目玉は修論。「往生要集」で有名な恵心僧都源信という人物について、「観心略要集」と言う著書にスポットを当てながらその仏教思想をテーマに取り組む。修論自体の出来はともかく、今後の研究に向けての課題が明らかとなった点で収穫。


11月には祖母が名古屋で他界。
幼少期を共に過ごした祖母は、第二の母親のような存在だった。祖父が死んでから横浜で一人暮らしの彼女は、大学で上京してからも月末になるとご飯に与ろうと駆け込んでくる自分に対して、小さい頃と変わらず優しく接してくれた。実際あの頃自分はその目にどんな風に映っていたのだろう。

祖母が認知症となって10年強、少しづつ弱っていく祖母を家族で見守ってきたが、実際のところ本人の意識はどれくらい残っているのか、最後はそれもあまり気に留めなくなった。症状が進むにつれ不可解な行動を取る祖母に対して最早可愛がってくれた自分の事さえ認識は出来ないのだという恐れを抱く度に、或る意味自分の中の祖母は少しづつ、着実に崩壊して行ったのだと思う。だからこそ訃報を聞いた時、死に対する悲しみよりも先に安心を感じた。
それはようやく往生できる祖母に対する安心であると共に、介護をやり切った自分の家族に対する安心でもあった。
その為か自分でも不思議だったが御葬式もそれ程悲しくはなかった。
最愛のお婆ちゃん。あとは阿弥陀さんがなんとかしてくれるでしょう。


なんだかバタバタもがいて過ぎ去ったここ数年だったが、2010年は大学も一段落、雀宮を中心とした生活の基盤をづくりを重視してみたい。
春頃には新しい家族が出てくる予定。加えて今年はお寺の境内整備が大きく進展する。之を機に今一度仕切り直し、新たな人生のスタート位のつもりで臨みたいと思う。

流星性首痛 其の二

今日も1:00過ぎから約30分程観測。宇都宮の夜空は雲ひとつないが若干薄くガスってるか。それでも星はほんとよく見えます。

今日はオリオン座流星群とそうでないの大小合わせて7〜8個確認。


満喫。

普段から家の前なんかでもちゃんと流れ星見えることも分かってちょっと嬉しい。来年は押し入れの反射望遠鏡フル稼働だぜ。



あと、関係ないですが。

長門裕之さんの一連の会見、役者さんということもあってか、その言葉に二人の人生と、その死別に際して彼が抱える葛藤のようなものがとても生々しく表されてると思いました。

ドラマとかワイドショーとか、最近人の「死」についてなにやら安易な描写が溢れてるような気がする中で、テレビに映る「死」としてはすごくリアルなものに感じられました。


南田さんの冥福と、
長門さんの残る舞台の無事成功をお祈りして。

流星性首痛

yooosuke2009-10-20

オリオン座流星群につき
昨日今日と観測。


そろそろ修論大詰めという日々における
ささやかな息抜き。


昨日はほぼ雲無しの晴天だったため流れ星ビュンビュン。0:00位から20分ちょいの観測でも5〜6個はしっかりと確認。一番デカかったのは火の玉のようにして尻尾がしっかりと夜空に残った。

今日は昨日と比べると薄雲がかかったり切れたり。そのせいか1:00〜30分でデカかったのは一つだけ。


明日に期待。


しかし。
やっぱ田舎は夜空がきれいだ。
目が慣れる程にワクワクしてくる。
25年ぶりの天文熱が再燃。

お盆明け。

今年も無事お盆が明けました。

13は迎え盆、お寺の境内にはたくさんのお墓がありますが、みなさん提灯を持ったりしてご家族でお参りに、それぞれご先祖さんを連れていかれました。

14・15は棚経。うちは初盆を迎えた檀家さんのお家を廻ります。今年も両日午前中は歩きでお寺の周りを、そして午後は車であっちこっち。炎天下の中袈裟着て汗たらしながら町内を歩き廻るというのは見た目にきつそうですがどちらかと言うと午後の方が上を行きます。そんな遠くを廻る訳じゃないので、車のクーラーが効く前にすぐ次の家に着いて、お経あげて戻ってきたら既に車内はチンチンという。

今日は送り盆、朝一から暗くなるまでお墓参りの足は途絶えることなく、皆さん無事にご先祖さんをお墓にお送りにいらっしゃってました。線香足したりしながら一日そういう様子を伺ってると『おばあちゃんバイバーイ』なんつってお墓に手を振ってく子の姿もあって非常に微笑ましい。

こうして3日間もぬけの殻となっていたお墓も今はみなさんお戻りになっていつも通りの姿を取り戻しました。ただ一点、前と違うのは、何やら不味い字の塔婆が一本ずつ増えてるってことです。



こんな感じでずっとお盆の真っ只中、お寺からいろいろ眺めていると、昔から続けられてる人間の『営み』って言うんでしょうか、とてもいいもんだなぁと思いました。都会なんかでは薄れつつあるこういった景色(迎え〜とか送り〜とか、前は意味さえよく知らなかったし…)がまだ残ってる田舎の暮らしって、豊かなんだなぁと。


なので、またこの地元が好きになりました。


FMのショボさと、運転マナーの悪さ以外は。