2009→【2010】→2011→…

2010年も三日。三年連続喪中正月となりましたがみなさん今年もよろしくお願いします。


簡単に2009年を振り返れば、総じて大学院とお寺を行ったり来たりした一年。

春先から始めた施餓鬼塔婆の準備は今年前半の大仕事だったが、何分筆が不慣れなもので、仕事に行った先のお墓にささっている塔婆の上をヨロめいている字々といったらヘタクソなりのグル―ヴと言うにも程遠くいつ見てもゲンナリする。

5月にはほんのちょっとだけ演奏を。ここ数年楽器からは距離を置いているから明らかにスキルが落ちているが、モチベーションが新鮮でよいし少ない時間を活かしてテクニック的なチャレンジに取り組むなどそれなり有意義に。


今年は自分の産みの母の33回忌法要を執り行った。
家族親族大勢が集まる中、岡山などから母方の叔父叔母達が駆け付けてくれた事は本当にありがたく、会自体とても和やかな思い出深いものとなった。最後に駅まで送り届けた母の弟にあたる叔父は、雨の中体一杯に手を振ってくれた。


御施餓鬼、お盆をはさんで秋以降の目玉は修論。「往生要集」で有名な恵心僧都源信という人物について、「観心略要集」と言う著書にスポットを当てながらその仏教思想をテーマに取り組む。修論自体の出来はともかく、今後の研究に向けての課題が明らかとなった点で収穫。


11月には祖母が名古屋で他界。
幼少期を共に過ごした祖母は、第二の母親のような存在だった。祖父が死んでから横浜で一人暮らしの彼女は、大学で上京してからも月末になるとご飯に与ろうと駆け込んでくる自分に対して、小さい頃と変わらず優しく接してくれた。実際あの頃自分はその目にどんな風に映っていたのだろう。

祖母が認知症となって10年強、少しづつ弱っていく祖母を家族で見守ってきたが、実際のところ本人の意識はどれくらい残っているのか、最後はそれもあまり気に留めなくなった。症状が進むにつれ不可解な行動を取る祖母に対して最早可愛がってくれた自分の事さえ認識は出来ないのだという恐れを抱く度に、或る意味自分の中の祖母は少しづつ、着実に崩壊して行ったのだと思う。だからこそ訃報を聞いた時、死に対する悲しみよりも先に安心を感じた。
それはようやく往生できる祖母に対する安心であると共に、介護をやり切った自分の家族に対する安心でもあった。
その為か自分でも不思議だったが御葬式もそれ程悲しくはなかった。
最愛のお婆ちゃん。あとは阿弥陀さんがなんとかしてくれるでしょう。


なんだかバタバタもがいて過ぎ去ったここ数年だったが、2010年は大学も一段落、雀宮を中心とした生活の基盤をづくりを重視してみたい。
春頃には新しい家族が出てくる予定。加えて今年はお寺の境内整備が大きく進展する。之を機に今一度仕切り直し、新たな人生のスタート位のつもりで臨みたいと思う。