帰還

ボロッボロ

39日間の修行に引き続いてニューダンカンジョーという儀式への参加の為に
下山が数日延びるなんてキイテマセン



遂に63日間に渡る修行の全過程が終了、これで僕はもう『アジャリ』なんだそうで。ちなみに『アジャリ』になるとはどゆことかと言うと

・体重/ 70kg(3月入山時) → 60kg(今回下山前夜)
・1月にジャストで買ったジーパンのウエストに今拳が2つ入る
・暇な時間の使い方が分からずオドオドする。
・夜景を見ると遠い目をする


目に見える範囲ではこんなところですかな。


一人一人のお坊さんの面影に『たった一夏されど一夏』の喪失による傷がいつまで残るのかは分かんないけど、真っ暗闇で座禅中にドッカンドッカン聴こえてきた琵琶湖の花火の音はそう簡単に忘れそうにないッス。


『正座がつらいとかはそれ程ないと思われる』などとホザいて入山したケド結局この40数日間は終始脚痛との戦い。ただ、中盤以降はそれ以上良くもならなければ悪くもならない痛みと向き合うというか、あまりケンカしない方がいいなと思ったので、無駄な抵抗は諦めちゃった。

総勢39人による集団生活に関しては年齢差による(?)違和感をもった事は事実。それでも前行時と同じく今回も若者達からはいろいろと救われたり勉強させられた。

個人的には黙々とした日々を送った、つーかそういう生活態度をキープし続ける事につとめた。隣席で『日本昔話盛り』の白飯が超絶スピードで平らげられていく(でもみんな痩せちゃうのよネ)光景を目の当たりにした瞬間、それがここで自分が生き残る唯一の方法だと確信したからであり、結果39人の院生の中において特筆することもない地味〜なオッサンとして、最初から最後まであんましテンションも変えず、言わば早過ぎも遅過ぎもしないテンポでひたすらループをかけてるような生活を送ってたワケ。そんな中、脚の痛みが鬱陶しくてケツが重くなっちゃったり、動きに精細が欠けそうな時それを歳のせいにしてしまいそうになったりと、行院生活を振り返って反省すべき点はホント多々あるが、その辺も踏まえ今後に生かせる修行が出来たという点では素直に手ごたえアリ。

行中に祖父を亡くす。山の上で身内に不幸でもあったらどうすんだろー、などとケラケラ言ってたのがまさか自分だったとは。知らせを受けた日の夕方のお勤めに院生全員でお経をあげてもらったり大勢から励ましをもらったりと色々ご配慮頂いてとても有難い中、バタ付いてるはずの下界の家族のことが思い浮かぶ一方でスムーズに気持ちを切り替えて再び行に集中させてもらえるという自分の立場について考える。


まぁそんなこんなで無事満行出来たのだけど正直手放しで喜んでられない。行者の満行ってそっから自動的に僧侶の始まりなワケで(その点行院最後の夜には刹那的快感アリ)今までこそ『いや〜自分この世界飛び込んだばっかでようワケが分からんッス』などという言訳も立ったのがこれからはそうは行かなくなるなんてなんかコワイし、そうやって考えると『FULL METAL JACKET』をモロに地で行くようだった行院も、もう既に良き思い出の領域に入りつつある。


がんばってきましょー。