比◎山から帰ってきました

比◎山行院から無事帰宅。長いような、短いような24日間だった。

初日の京都は午後から雨の予報だったが朝はよく晴れた。京都駅で待ち合わせた数人は皆緊張の面持ち。自分だけニコニコしててなんだか見送りに来た人みたい。軽い食事のあとタクシーで比◎山へ向かった。

行院に着くと正面に僧侶の姿が見えた。人生初の『修行』に対する期待を胸に、『よろしくおねがいします!』とかなり爽やかに挨拶したはずが、帰ってきたのは『なぁらべぇぇぇっ!!』『はぁしぃれぇ゛ぇ゛ぇ゛!!』という怒鳴り声。この瞬間行院がどんな処なのかなんとなく見当がついた。


5:30起床、掃除、朝夕のお勤め、精進料理の3食。間に授業・作務・読経の時間なんかを挟んで22:00消灯。これが24日間繰り返された日常。

比◎山で最も寒いという場所にある行院も今年の暖冬の例外ではなかったらしいが、そのポカポカ陽気は自分達の到着と同時に10日間連続の雪に変った。窓の外の雪景色を恨めしく眺めて、畳の上に射す僅かな陽光に足を向けて微かな暖をとるのが日課となる。

行が始まって最初の数日はかなり楽観的だったが、脚の痛み・疲労が溜まるにつれ生活に対する不安感が増す。集団生活は苦手じゃないが自分以外のほとんどが10歳以上年下の若者となるとある程度ストレスも生じる。それでも一週間ほどすると体が生活(特に食事面)に慣れてか、便秘が改善し、唇のひび割れがなくなる。そのうち自分なりの生活パターンが出来上がり、行の流れに乗っかったという意識が持てるようになると、生活が色々と楽になっていった。

風呂は2日に1度の最高の楽しみであると同時に、行院生活におけるリセットボタンのような役割をもつ。2日を1サイクルとして、普段の1.5倍速で生活が進んでいくように錯覚し、結果的に日が立つのも早い。

食事は朝は粥、昼夜は米・味噌汁と2品くらい。3食とも最後にお茶と沢庵を使って全ての食器の洗鉢が義務付けられる。時間がないので噛んでる暇がないし、音を立てると怒られるちゃうので、慣れるまではそれなりに苦労するが、コツをつかんでくるとスピードも上がり余裕が出てくる。余裕が出てくるといろんな判断が可能になるのでカレーを箸で食えたりする。スプーンはカレー自体を皿に伸ばしてしまうし、スプーンを洗う時間も勿体無い。カレーは箸で喰った方が早かった。


毎日お勤めだ読経だと声を出していると喉はずっと荒れた状態で、おまけに生活空間が非常に閉塞的だから風邪が広まりやすい。行も後半に入って雪が止み、気温が少しずつ高くなると鼻水をすする者や咳をする者の数が増えた。自分もいつの間にか唾を飲み込む事も出来ない程喉が痛くなっていたので、市販薬をもらって飲んでいた。この時体温を測ってみると38.6℃の熱があって驚いたが、だるさや寒気等の自覚症状はなかったので安静を心がけて様子を見ることにした。あくる日の体温は37.6℃まで下がり、喉の状態も回復の兆しが見られたのでこの時点でそれほど心配はせず、2日後に控えた三千佛礼拝行までの復調は十分可能だと思っていた。

しかし次の日の明け方目を覚ますと咳と共に気管の辺りに激痛。流石にこりゃまずいなという予感。朝のお勤めの最中に寒気が出はじめ、飯の最中には体が震え始めた。熱を測ったら今度は自覚症状通りの38.8℃。すぐに山を降りて医者に連れて行かれることとなった。

行の途中、一人だけ山を降りるという事は非常に不本意である。車の中で流れるラジオも、病院のテレビで流れる高校野球も、色とりどりのお店の看板も、できれば何も見聞きしたくないと思い、終始うつむき加減だった。一人だけ体調管理に失敗した自分に対してか、一人だけ下界の”汚れ”に浸ってしまった自分に対してか、なんとなく自己嫌悪に陥った。

病院では予想通り気管支炎という診断が下る。Dr.コトーみたいなお医者さんに明くる日からの三千佛礼拝行のことを告げ、できるだけその日の内に症状が治まるよう頼み、注射1本を打ってもらう。効きそうな薬を処方してくれたようで一安心する。

車の中で、行院の指導員と色々と話をした。山の上では何かにつけて自分達を怒鳴りつける役の人なので普段は世間話などできないが、その時だけは気のいいニーちゃんという感じで、年齢が近いということもあってかなんとなく気楽に互いの身の上話なんかを話した。今思うと、気が張りっぱなしの24日間でこの時が唯一落ち着けた時間だったかもしれない。内緒でもらったカフェラテがやたらと旨かった。

病院から戻った後は完全に隔離された状態で1日寝て過ごす。夕方のお勤めには出たかったがそれも却下された。誰もが疲労の溜まっている時、一人だけ布団の中で休んでいる事を悔しく思った。夜になるとだいぶ症状も治まったかに思えたが熱を測るとまだ38.8℃。礼拝行のスタートまで残すところ半日、果たしてそれまでに熱が下がるのか、下がらなかったらどうなっちゃうんだろうかと、真っ暗な部屋で布団をかぶって出てくるのはため息ばかり。

あくる朝、まだ若干のだるさは残りつつも熱は36.9℃まで下がり、なんとか礼拝行へのGoサインが出てほっと胸を撫で下ろした。各班に『昨日は一日休み貰ってすんません』と謝って廻るが、前の晩に全員剃髪(ツルツル)していたようで、自分だけ髪の毛が残っているのが妙に恥ずかしくてまたちょっと落ち込む。

三千佛礼拝行はまさに今回の行院のクライマックスで、三千の佛さんの名前を大声で唱えながら五体投地、是を3日に分けて行うもの。朝8時位からスタートして昼飯を挟んで昼の2時過ぎ位まで続ける。20歳の体力の中一人30代で立ち向かうわけだから自分のペースを第一にあまり無理はせぬよう心がけた。山に来る前に走り込んでいた成果か、病み上がりといえども体力的には3日間なんとかもったが、二日目は膝痛が酷くしゃがむのさえ困難な状態となる。かなりスロー・不恰好な五体投地で周りをヒヤヒヤさせた様だが必死に辛抱して最終日に繋げると膝の状態も若干回復、無事三千佛目の名前を唱える事が出来た。

 その日その日の終わりに差し掛かると指導員が毎回泣ける事を言う。そんな分かりきった手を何度も喰らうはずないじゃない、と思っていても、こういう時はいろんな思いが交錯するもので結局自然と涙が溢れてしまった。


こうして一人の脱落者もなく24人全員無事に春加行を終えた。しかし修行はまだ半分に満たない。夏には帰山し39日間の修行を再び行う。この時は7月頭から入行している連中と合流する形となるため、この数ヶ月気を緩め過ぎるとその後の修行生活に支障をきたす事は明らか。そんなこともあってか春加行満行といってもお祝いムードはかけらもなく、行院からは怒鳴り声と共に追い出された。


前にもどこかで書いたように、自分の『行』に専念出来る場が用意されているというのはやっぱり贅沢な事だと思った。と共に、自分の『行』などといって、何かどえらい難しい事が一人一人に課せられていたわけでもない。大声出してお経を読んだり、必死で正座に耐えたりするのは、周りを見渡せば皆一緒だし、これは『行』なのだとイチイチ考えなくってもなんとなくやり過ごす事だって出来る。ここで出来る『行』っていうのは、ぱっと立った時にかかとがくっついているかとか、歩く時にはドタドタ足音を立てないとか、ほんの些細な事に意識を持ち続けながら生活が出来るか、きっとそれくらいの事でしかないんだと思う。だからこそ日が経てば経つ程、行院の生活なんつったってそれ程日常とかけ離れている訳じゃないと思ったし、自分の『行』なんてものが山だけで終わっちゃあ拙いんだろうなとも思った。

共に24日間過ごしたのは漢字が読めなかったり三宝の意味を聞かれて答えられなかったりする、フツーの(?)今時の若者達だったけど、坊主の卵とはいえ自分が20歳の時の事を考えるとコイツラよくやるよな、とほんと感心。色々助けられた。


しかしまぁ、下山して何が一番嬉しいってジーパンとかがユルユルな事。これだけしんどい思いして落とした体重だから、なんとしてでもキープするべし。