用心棒の旅 被災〜帰還 2

3/13(日)
 6:00前起床。毛布2枚、掛け方を工夫するも寒さは厳しい。
 8:00炊き出し、おにぎり2個、たくあん、つけもの。

 午前中は毛越寺を外から眺めつつ町内を散歩。途中地元の母子と話す。橋の上で止まった列車の乗客と知って驚く。地元では近いうち断水も囁かれているらしい。
 12:00昼飯炊き出し。ごはん、味噌汁、つけもの。

 午後秋田空港へタクシーで抜ける人の同乗者が募られる。残っているJR乗客のほとんどは関東への脱出を待つ人のようだが秋田経由となるとさすがにあまり手が上がらない。天気予報を見ると火曜日以降は天気が崩れる様子。早めの脱出が必要とヒライと案を練る。車で日本海側へ抜け山形空港もしくは庄内空港から飛行機を使うことを決めた後、高架上に止まったままという列車を見に、そして被災地脱出方法を地元タクシーと相談する為再び散歩へ出る。
 中尊寺中腹の展望台から望むと止まったままの列車が良く見えた。やはり位置は本堂正面。ふと見ると横には弁慶堂。見落とされがちという弁慶の墓をヒライが探し当てて手を合わせたのを思い出し、今回いろいろな力に助けられたのかも、という思いを二人とも強くする。
 平泉駅にて地元タクシーに相談すると、一旦南下しつつ峠を越えて新庄へは2〜3時間で出れるだろうとのこと。検討の上明朝以降にまた来ると告げて避難所へ戻る。脱出への大きな手応え。
 
 炊き出し前にドライビングスクールの生徒が教習所宿舎へとごっそり移動。避難所にはJR乗客7名と徐々に増え出した町民数十名。高齢者と子供の姿が目立つ。
 17:30夕食炊き出し。磯辺餅、ごはん、たくあん、味噌汁。
 食後JR職員と相談。こちらの案を話すと、実はJR側でも一ノ関に避難中の東北新幹線乗客を陸路にて日本海側へ輸送、酒田〜新潟を経由し上越新幹線で東京へ帰す案が浮上しており、我々もそれに便乗できるという。
 計画実行の日時については未定の為まずは明朝一ノ関へ移動するというが、移動手段が確保されるのに加え、JRがこちらの動向を把握しているという点が安心の為、この提案を受け入れる。その後ヒライと談笑などしつつ人数が減ったこともあって余裕が出た毛布をもう一枚借り、身支度を済ませて22:00頃うとうと眠る。

3/14(月)
 寒さは毛布3枚も貫く。余震が続く夜の間、役所職員はじめ何人かが交代で寝ずの番をとっている。町職員であろうと、町民であろうと、観光客であろうと、皆被災者であることにはかわりない。眼が覚めるたび彼らの姿を確認しつつ、本当にありがたいと思う。

 7:00JR職員が迎えに来る。計画通り8:30一ノ関をバスが出発するとのこと。町の職員に厚く礼を述べて車2台にて15分ほどかけて一ノ関駅前へ移動。広場には既に東北新幹線の乗客が列を成している。我々は在来線組、長距離の乗客などは長旅対応にして皆どこか穏やかな面持ちだが、こちらはスーツ姿の出張組が多く表情も険しい。間もなく岩手県北観光バス6台が到着、3台が酒田へ向かう東京組、他の3台は仙台及び盛岡方面へ向かうようだ。ここまでの手厚いケアに対しJR職員に礼を述べ、我々は3号車へと乗り込む。全員に弁当・お茶が配られ、バス一台一台に一ノ関駅長が挨拶して回る。8:15予定より若干早く酒田へと出発。

 バスは一ノ関市街を抜け、築館から鳴子温泉郷を抜けてゆく。途中ガラスが全て割れ落ちた車のショールームや店頭に商品を並べたコンビニなどが見えたが、内陸を抜ける我々はそれ以上の大きな被害を目の当たりにすることはなかった。最上で休憩、電気が灯るコンビニに入ると、間もなく携帯にメールが一斉に受信され、被災地を脱出しつつあることを実感する。酒田へ到着すると列車の予定時刻まで2時間弱あるため近所の海鮮市場へ移動し、各自昼食。 14:23いなほ10号に乗車。既に秋田から盛岡方面の避難組が乗車しておりすぐに座席は満席、通路脇に寄りかかって立つものの、鶴岡からは仙台方面の避難組が続けて乗車、車内はデッキ・通路を含め超満員、蒸し風呂状態となって13分遅れの新潟着、予定の新幹線には接続がかなわず次発Maxとき340号のホームに全乗客が走り込んでゆく。程なく発車しヒライと無事帰還の喜びを噛みしめる。
 途中駅に臨時停車しながら列車は19:00頃大宮着、首都圏は計画停電によって多くの路線が運休。二人とも帰宅が難しく、どっと溢れた疲れも相まって赤羽にあるヒライの親戚宅に身を寄せた。


 平泉という比較的被害の少なかった地域での被災、そしてたまたまJRの列車に乗り合わせていたことにより、その後大きな混乱に巻き込まれること無く、予想以上に早く帰還する事ができた。当初三日間の行程には甚大な被害を受けた沿岸部の観光も候補として挙がっていたこともあり、本当に、運良く今に至ることができたと思う。

 各地避難所は事態の長期化により予想通り深刻な物資不足に陥っている。平泉小の避難所でも状況が悪化していることは間違いないだろう。あの老婆は元気だろうか、あの子達はまだ笑って体育館を走り回っているのだろうか。今後出来るかぎりの支援と共に、一日も早い被災者全ての安心、被災地の復興を心から願う。

 石巻に嫁いだという知人の妹から、ようやく本人と家族全員の無事の連絡が入ったという。これほどの大きな災害、自然の力を前にして、人間の如何に無力であるかということ、そして、人間にとって信じること、祈ることの如何に大切であるかを知った。